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今日は、烏丸十条のマザーシップスタジオに行ってきました。
先日のJOJO広重さんとのライブをスプリットCDにしようと考えていまして、
そのマスタリングをしていたのです。
店主のラリー藤本さんはCHAINSのベーシストでもあり、
ぼくのセカンドアルバムのプロデュースもしていただきました。
(サポートでベースも弾いてくださっています)
お話が面白くて、ついつい話し込んでしまうのですが、
今日はマスタリング終わりで早々に切り上げてきました。
ちなみにここはスタジオ練習後、手作りのデザートが一品無料で貰えたり、
レコーディングのオプションでラリーさんのお母さんのお弁当がついたりします。
何気に山本精一さんがよく使っていらっしゃったりも(一昨日くらいにもいらしていたそうです)。
で、今日すこしだけお話しした中で、印象に残った会話は、
「最近ウチでレコ―デイングをする人たちは、
ちゃんと作れば、ちゃんと返ってくることにようやく気付いたみたいやな」
というものです。
文脈からしてラリーさんは音源制作のとくに「音」のことに関して言及をされたのだと思いますが、
寡作であっても、納得のゆくものをそれなりのヴォリュームで作ることが大事だと。
もちろん音だけではなく、ジャケットなり、宣伝なり、
すべて時間と手間ををかけて、納得のゆくまでやり切ることが、絶対に必要なはずです。
昨日締め切りだったインディーズイシューのコラムにも
「アイテム」としてのCDの価値が揺らいでいるということについて書きましたが、
だからこそジャケにひと手間ふた手間かけることなどの意味が出てくるのだろうと思います。
でも、実はこれと全く反対なことを東京で田代君やミシオさんと話していて、
それは「テレコで録った音源はどうしてあんなに良いんだろうね?」ということでした。
(「カセットレーベルを作ろう」などという話も半分本気でしていたくらいです)
ECDのあの、CD-Rがばーんとあって、手書きのジャケ・歌詞のコピーだけで成立させる男前感も圧倒的な存在感ですし、
「作品が作品として成立する」ための条件なんていうものは、
簡単に言えることではない、
けれど、はっきりしている(と信じたい)のは「ちゃんと音楽を作る、耳と感性にに忠実に作る」
という道だけが結果につながるということです。
良い音楽をつくりたいな、良い音楽を紹介したいなあ、
と呪文のように心で唱えながら、電車で帰ってきました。