夕暮れと私

今日は倉庫を飛び出し、CLUB METROの上にあるcafe etwで作業中です。
窓が西側、つまり鴨川のほうを向いており
「雨上がりの夏の夕暮れ」を堪能できます。


iPhoneiPadなどにはついぞ触れる機会のないぼくですが、
それでもパソコンはノートブック、
携帯電話には(性能は良くないですが)カメラもついていて
もう何処に居ても発信したり受信したり、できるわけです。


けれど、あまりにも発信受信が絶えないせいか、
ときどきかえって、そういう「コトバ」の飛び交う中を生きている
ということを忘れてしまいます。


それを思い出すのが、
容易には「コトバ」へ移し替えさせてくれない或る「印象」と
出会ったときです。


下手くそな写真で、何一つ伝わらないと思いますが…
窓の外に広がる赤銅色の空は、8月の色濃い緑と
街自体が放つ夕暮れ時のやるせない空気と共鳴し合って
この「コトバ」に浸った世界の外側には
どうしても「コトバ」に出来ないものがあるのだということを
否応なしに、ぼくに伝えてきます。


と同時に、この感覚を今度はなんとかして自分の中で消化し
次には自分自身の発信に変えたい、という衝動も湧きあがってくるのです。


ぼくの場合は
こういうインスパイアのされかたが多いのですが
インスピレーションの源は、それぞれの表現者によってまちまちでしょう。
出来事、会話、本、映画…
表現の根元にある主感情も
怒りなのか、欲動なのか、悲しみなのか、祈りなのか、
あるいはそれらを行き来しているのか。


ひとりの表現者をとってみても
どういうムード(あるいはモード)のなかで作品を作ってゆくのかは
時期や、日によって大きく変わってゆくことと思います。


願わくは、日々起こる、あらゆるネガティヴな「印象」-
そしてあらゆるポジテイヴな「印象」を
自分なりの表現に移し替え、今度はだれかにバトンタッチするように
自由に、想像力の余地のあるかたちで、繋いでゆけたらよい。


DOMMUNEのページに掲載されている
二木信さんによる志人「ジレンマの角 EP」に寄せての
テキストを読んでいる最中に圧倒的な空を眺めたのち、考えたことでした。
http://www.dommune.com/ele-king/features/article/001230/index-2.php


*「ジレンマの角 EP」は、サンレインでも取り扱っています。
詳細はこちら↓

http://www.sunrain-records.com/catalog-2875.html