一枚の写真から


さてさて、またずいぶんと間があいてしまいました。2月はシグナレスのリリース関連からMY DISCOのツアーで忙殺。この月を「逃げる」と言ったのは誰でしょうか。ずいぶんと上手いこと言ったものです。京都に戻ってきてからは、風邪をこじらせてしまったようでして、熱を出したり一晩じゅう咳が止まらなかったりと踏んだり蹴ったりの日々を過ごしました。この調子だと3月もあっという間に「去る」ことになるのでしょうか…



MY DISCOのLiamは写真が好きらしく、日本でもあちこちでカメラを構えていましたが、帰国後、Facebook経由で写真をくれました。彼らがたこ焼きに初挑戦した記録、鍾乳洞のなかでの記念撮影、南京町で神戸牛バーガーを頬張るメンバーを「この観光客め!」とからかいながら撮った見返りショットなど、いろいろあるのですが、そのなかに一枚、僕のポートレイトがありました。綺麗な青色のタイルの壁の前でぼくがぼーっと立っている絵なのですが、それを見ての第一印象は、わー、歳をとったなあ、ということです。
ツアー中なので疲れが顔に出ているということもあるでしょう。光の加減でそんな風に見えたということもあるでしょう。でも、久々に、フラッシュの光にさらされた自分の顔をまじまじと眺めるにつけ、頬のこけ具合は一週間やそこらの疲労から来るものではないように見えました。そしてそのときぼくを捉えたのは、ああそうか、ぼくもこれだけ生きてきたんだ、という不思議な感慨です。




音楽は、時間です。(文学も絵画も建築もスポーツも、あらゆるものが時間によって磨かれ、作り上げられてゆくのかもしれませんが、いまは措いておきましょう)。ぼくらが3分の曲を聴いたあいだに、ぼくらは3分間ぶんだけ歳をとる。某大物DJの家にあるレコードをもう一度すべて聴き直そうとして、とても彼の余生で聴き終えることができないほどの時間になることがわかり茫然とした、というエピソードは、ぼくらにこの事実をあらためて突き付けてくるように思えます。
でも、その一方で、音楽はいつまでたっても「瞬間」でしかない、という考え方もあるでしょう。音楽が流れている間、ぼくらは日常の時間の流れから切り離されて、別の瞬間(ある偉い学者さんが「垂直の時間」と名付けた、あれに似ているかもしれません)に留まることができる。卑近なたとえですが、ぼくには10年前からずーっと歌い続けている曲があって、毎回のステージで歌い出すたび、10年前に生まれたものでもなく10年後に生まれたわけでもない、じつに不思議な時の中にあるように思えてならないのです。




 技術的なことを言えば、みんな長く続けていれば大抵は上手になりますから、老練なミュージシャンが評価されるのは、全く正しいということになります(たとえば『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』とかが適切な喩えかな?)。でも、言うまでもなく「若さ」故にすばらしい音楽というものもこの世には存在するわけで、その「若さ」の輝きゆえに評価されてしまったひとは、後々まで自らのはなった光と戦わなくてはならないのかもしれません。あるいは若さの発露として音楽を選んだ場合には、歳をとって仕事が忙しくなり家庭を持って・・というプロセスのなかで「音楽をつくる」ということへの比重が下がってくるのも当然といえるでしょう。
 ぼくのように、若いころに恥ずかしいことをいっぱいやってきた(いまでも同じくらいやらかしていますが!)人間にとっては、そういった過ちたちが全部二次的なカルマになっていて、何かを書いたり歌ったりする場合にもどこかそれらの幻影から逃れられないところがあります。恥が多いぶん、歌へ導かれる気持ちの流れは強くなり、しかもそれが自分への言い訳とか鼓舞とかであってはいけない…でも歌をうたうということは人前に身をさらすことで、それがまた新しい恥に繋がるわけです。なんというジレンマでしょう。だから、いまの自分の写真をみて感じた「歳をとったなあ」という感慨は、どれほどの二次カルマ(と名付けます)とジレンマを抱えて生きているのかを目の当たりにした戸惑いに似
ていたのかもしれません。


と、ここまで書いて、こんな所在なき感慨なんて、先輩方からはきっと一笑に付されるに違いないだろうということにも気づきました。なんといっても、この先にもぼくには重ねるべき歳月が待っていて、そこには先行く人を「追い越す」という項目がなく、30歳の歌、40歳の歌、50歳の歌、きっとそれぞれに正しい(ジャストサイズ、という意味です)歌い方があるのでしょうから。結局のところは「いま」歌をうたっている以上(そしてずっとうたい続けてゆきたいと願っている以上)、いまの喜び、いまの恥、いまの苦しみ、およそ「歌」から派生するすべての要素を全部引き受けてゆかなくてはならないのだ―それが、そもそもが「瞬間」でしかない音楽というものを奏でる立場に立った人間の背負わざるを得ない責任なのだ―と、ほんの一枚の写真を前にして一人合点したのでありました。


*MY DISCOとぼくが日本各地を転戦したツアー日記はこちらで読めます(現在もまだ更新中)。
http://lontacar.jp/text/14/


*MY DISCOのセカンドアルバム(前作)「PARADISE」国内盤が、前々作「CANCER」からの4テイクも加えた日本独自仕様でJUNK Lab Recordsからリリースされています。
http://www.sunrain-records.com/catalog-1444.html