ここ

先週の金曜日から、祈り、願い、歌い、すこし仕事をし、
それ以外の時間は、ほとんどラジオとUstreamTwitterに魂を抜かれています。
(よくないことだなあと思いながら)


たくさんのミュージシャンが、被災地を励ますために、
あるいはプロフェッショナルとしての誇りと自負のために、
あるいは日本経済のために、そして彼らの音楽を求めて集まる人たちのために、
いまも音楽を奏でています。


また、同じくらいたくさんのミュージシャンが、
届けるべきその日のために、
必要とされるその時のために、彼らの音楽を求めて集まる人たちのために、
力を蓄えています。


ことばが飛び交い、想い、情熱、信念が飛び交い、
ぼくはそのどれもを正しいと思いました。


ぼくはといえば、なすべきことをしようと決めました。
それが仕事なのか、歌なのか、義捐金なのか、まだ分かりません。
あるいはその全てかもしれません。分からないままに、そのどれもと向き合っています。


幾人かの友人たちが起こそうとしている幾つかのアクション、それに力を貸す申し出をしました。
彼らは本当に素晴らしい行動力を持っていて、ぼくは彼らの友人であることに誇りを覚えています。


でも、つまり、ぼくが、
ほんとうにできていることは、まだほとんどありません。
ぼくはどうしたらいいのだろう?どんな行動にもこの自問自答は付きまといます。


いまはっきりと正しいと思えるのは、
犠牲者の方々の、ご冥福をお祈りすること。
被災者の方々の、一日も早い安寧を願うこと。
そして、原発が最悪の事態を切り抜けられるよう信じること。
この3つを、できるだけ丁寧にやろうと思ってます。


やがて、ぼくのなすべきことが、ぼく自身の中から立ちあがってくるはずです。
それまでは、きっと待つしかありません。


このブログを読んでくれている物好きな人も、
もちろんそうでない人も、すべての街のみなさん、どうぞ元気で!
世界中の音楽が、ずっと鳴りやみませんように。