無題

9月11日、あの日から半年、日本中でいろんなイベントがありましたが、ぼくも京都で開催されたデモに行ってきました。


半年を記念する(こういう言い方はおかしいかもしれないですが)イベントということもあり、円山公園には老若男女を問わず、たくさんのひと。黙祷ののち、共産党ののぼり、子連れの女性、自作のプラカードを持った初老アベック、ジャンベを抱え日焼けした長髪のおにーさん達、みんなが同じ4列縦隊を作って街を歩きました。不思議なようでもあり、これが当たり前なんだろうと思わされる光景でした。

沿道からの眼差しも、異様なものを観たような険しい顔から、なんだろうと怪訝そうに覗きこむ顔(これが一番多かったように思います)、そして笑顔(嘲笑も応援も)、いろいろありました。こちらでは警察はおおむね好意的、整然と交通整理に徹していた印象です。そういえばシュプレヒコールの男性の発声とリズムがECDによく似ていたこと、たまたま隣あったおじさんが、難しいコールをリピートすることができず、簡単なものになるととたんに大声になるのがなんだかコミカルだったこと、初老の夫婦が一本のプラカードを交代で掲げ、手が疲れてないかどうかいたわりあっていたこと、集合場所で意外な(おたがいに意外と思っていたフシがありますが)友人に会ったことなど、久しぶりに行ったデモですが、なんだかずいぶん「楽しかった」というのが実感です。



おとといの夜「デモに行きます!」とツイートした瞬間にフォロワ―が10人ほど減るという事実を目の当たりにし、あ、ここは所詮レコード屋のオフィシャルツイッターだったと思い知らされたわけですが、よくよく考えると、これはいわゆる「政治・政局」の話だけで済ませることではないなあと、あらためて感じています。


それでもしつこくブログでこのことを書く理由を、以下、ちょっとだけ。


大臣を辞めさせられたひとについては、失礼ながらほとんど存じ上げません。でも、この人が「どんな政治家、国会議員」なのかをほとんどの人が知らないまま、言ったか言わないか真偽すら定かでない「ことば」が起因して罷免されたということ、もうすこし言うと、マスメディアが「あいつがああ言った」という情報を流布しただけで、一晩のうちに大臣の首が飛ぶということ。この事態が異常でないとすると、なんと呼べばいいのでしょうか。

ことば狩りが、即、スケープゴート探しになる。みんな不安で、不満で、そのなかで「余計なことを言った」奴が格好の餌食になる―ぼくがヤバいと感じたのは、これが「表現」ということ、さらにはいろんなことに対する「自由」を脅かす可能性を表しているんじゃないか、ということです。


と思っていたら、同じ日に新宿でも行われたデモで、柄谷行人さんがこう仰った、と。
「デモにどんな意味があるのかと懐疑的に問う人が多くある。しかし、デモには意味がある。それはデモのある社会をつくる行為だからである」(以上、ツイッター上で流れた記録の引用)


ここで持ち上がってくるのは、またもや「空気」の問題です。大臣辞めさせろとか、デモはよくないことだとか、言い出した「誰か」の声が増幅されて「空気」になる。そんな「空気」の支配するような世界(それが右だろうが左だろうが関係ありません)では、インディーのミュージシャン、アンダーグラウンドのDJたち、そのほかサンレインがお世話になっている方々がしているようなたぐいの表現(自分のやっていることも含めて!)は、いつしか、「無駄なもの」として切り捨てられかねない、と、本気で心配しています。

実際、深夜営業のクラブが摘発されるなど、お上からの使者が突然降ってきて「反社会」のレッテル貼りをする場面、それをメディアがさも「悪が懲らしめられた」かのように伝える報道などを、しばしば見受けるようになりました。(ここでひとつ気をつけなければならないのは、「悪」とされた側がを全面的に冤罪被害者とは限らない、ということです。深夜の騒音やごみの散乱などによって実際に迷惑に思うひとたちもいるのは事実だとして、そのうえで、「事実」を極端に書き直し、問題を一面化する印象操作が意図的に行われる、それが一番怖いと思っているのです)。

そうした「空気作り」に対して、ぼくらはどう対処したらいいのでしょう。個々としては”A.K.Y.=あえて空気読みません”という態度(と、ほんとうに周囲に迷惑となることはしない想像力)を保ってゆくことはもちろん大事、さらには誰がどういう意図で空気を操作しようとしているのか、見極めて、ときによっては立ち向かうことも必要なのではないでしょうか。もちろん魔女狩りの対象になるのは恐ろしいことですし、できるだけ避けたいことですが、「あいつを魔女にしよう」と決めてしまうものたちから、いつもいつも逃げているわけには、もう、いかないように思います。わなにかからないように慎重に、でもできるだけまっすぐに、前へすすめ、たとえ怖くても。


今回のデモ参加(そして参加表明のツイート)のいちばんの動機では、自分の「いるべき場所」を守るために、できることをやろうということでした(もちろん原発いらん!という気持ちもあるのですが)。

京都の911デモは平和裡に終わりました。では、他の地域ではどうだったのでしょう。新宿においては、12人の逮捕者が出たそうです(一部では17人と言われていますね)。YOUTUBEでも、いろんな人のブログでも、いった何が起こったのか、その一端を知ることが出来ます。また、大手新聞がどのように報じているかも。

日本各地で起こっている問題提起について、まるでなかったかのように、あるいは社会を揺るがす迷惑行為であるかのように「世間(どこにあるのかも定かではない)」が振舞っているのだとすれば、問題提起は、まだ終わっていません。いち弱小CDショップ店員であろうと、アンダーグラウンドSSWであろうと、ただの小市民であろうと、どの立場からもやっぱり共通して「やるべきこと」は引き続き残り続けるのだと思っています。


“@sunrainrecords”はあくまでレコ屋のツイッター(ときどきライブのことなどは書いてきましたが)ではあるのですが、それでも、今回のデモの件は、表現について、自由について、レコ屋として普段考えていることと大きく重なります。ぼくらが「あらゆる種類の」音楽を鳴り止ませないために、「あらゆる種類の」音楽を享受できるようにあるために、どう振舞わなければならないか、引き続き考え続けていきたいと思います。またごく稀にぽろっと余計なことを書いてしまうかもしれませんが、どうかお目こぼしを…いや、本業は十分にわきまえているつもりです!入荷・お知らせツイート頑張ります!!