場外乱闘

うーん。棚卸の残務処理をしながら、昨日のブログについて思いを馳せております。



僕はお金については、そんなに考えたことがない(ボロフェスタとかeeteeとか東京ボアダムとかで「赤字」の心配をする、というのが僕にとっていちばんリアルな「音楽とお金」のトピック)のですが、「お金」を「評価」と読み替えると、なかなか身につまされるなあと。


人前に出てきて歌う、誰かに聴いてほしいと思う、拍手は少ないよりもたくさんあった方がうれしい-自分のなかで生まれた「表現したい!!」という衝動に、他人とコミュニケートしたいという気持ちが浸透してくることは、とても大切だと思っています。
それがもっと大きなステージとかアルバム何万枚とか、、もともとある自己顕示欲や名声欲がどんどん肥大していって(ここにお金も絡んでくるのかしら)、そっちのほうを優先させるために(ときに意識して、ときに無自覚のまま)やりたいことを曲げたり、うまくいかないことをひとのせいにしたり、横暴になったりと、いろいろと歪みが生まれてきて・・・


自分の失敗を省みたり、友人知人のことを思い出すに付け、おおきなものを相手にするとき、自分を見失いやすいなあと、しみじみ思います。でもその「おおきい」ということには確実に魔力があるんですよね。だからみんなやめられないんだろう、と。


いや、ここまで書いておいて気付いたんですが、もしかしたら音楽それ自体が「ものすごくおおきい」のではないかと。おおきいものが人をひきつけるのだとしたら、音楽が宗教性を帯びるのはしかたがないのかも・・・ごめん達久くん、よけいややこしくしたわー。むずかしい。


でも、自分の人間力がどのくらいか?なんて考えることには意味がないことだけは確かで、自分の演奏とか、曲とか、詩とかを全部晒した上で与えられる評価なら、すくなくともその瞬間はそれが高くても低くても受け入れるしかない、と思います。


じつは昨夜そのあと棚卸お疲れさん食事会に行って、達久くんと小一時間ほど話したのですが、そのときのことも踏まえて書いてみました。



ちなみに棚卸の前に、小岩のBUSHBASHのラウンジでライブをしてきました。出演者込みで10人ほどのイベントでしたが、ほんとに楽しかったです。恋はもうもくのときはほとんどかぶりつきでした。はじめて行ったBUSHBASHの雰囲気自体も素敵で、コーヒーが美味しくて・・・

もしかしたら僕が言いたいのは、ただそういうことなのかもしれません。