ちょくちょく戻る埼玉

ゆーきゃんさんから電話、何か書かないかと誘われ、ぜひ、と答えて早二週間ちょっと。遅ればせながらはじめて投稿します。東京を拠点に活動するworst tasteというバンドのベースとキーボード担当、コジマと申します。ゆーきゃんさんとは、東京BOREDOMというイベントを一緒につくったりしています(9月27日のエントリ参照)。1983年生まれの27歳。



ところで、いまこの文章を、埼玉県の実家のパソコンから書いている。県の北東部、もう数駅行けば利根川をわたって栃木県/茨城県、という場所に位置する人口たぶん8万くらいの町の新興住宅地。ここで20年ちょっと暮らし、それからは都内に住んでいるわけだが、わけあって月1〜2回くらいちょくちょく実家に戻っている。


この、「ちょくちょく戻る実家」というのがなんだかよくわからない。実家といえば、そこから「出たり」「帰ったり」するのはまあ人生の割と大きなイベントであって、「出たからには帰らない」とか「出たけど帰った」とか、色んな事情があって「出れない」とか、「帰りたいけど帰れない」とか、「関係断ち切った/断ち切られた」とか、あるいは「元々出る気はない」とか、「実家自体がない」とか、さらには「二世帯住宅」まで、さまざまな現実のドラマがあり、なんであれ実家との関係性というのは人の生きる上でのかなり重要な、中核になる要素なのだと思っている。


のだが、それを考えるとなおさら、私の場合のこの「ちょくちょく戻る」という関係は一体なんなんだろうなーと、帰るたびに思う。そこでやはり思い至るのが、「ちょくちょく戻る」状態なのは「ちょくちょく戻ろうと思えば戻れないこともない」微妙な距離に実家があるという物理的な条件があってはじめて可能になっているということで、つまりは実家が埼玉であることがこの状態をもたらす要因の大きなひとつであるだろう。実家で何か人手がいる用事ができたとき、他の兄弟たちでなく私のところに親からの招集がかかるのは、都内に住む私が一番、埼玉に「戻れないこともない」距離にいるからだ。


と、半ば強引に埼玉の話へとつなげたが、埼玉について言葉を費やしたくなることが、この数年急激に増えた。「埼玉県民は地元意識が希薄」という一般イメージ通り地元に愛憎入り混じる思いを感じたりすることなくやってきたはずが、ここにきてなんだかその希薄な感じ自体にむずがゆくなる気分なのである。年を経てきたせいか。いや、それだけではないはず。埼玉は「ちょくちょく感」に満ち溢れているのだ!


伝統もクソもない新興住宅地における「新たな土着」の不気味な胎動、都内発の電車の終点駅の駅前の現状、「ギリギリ首都圏」の町の悲哀、そうしたことについて、折に触れ書いていこうかなと考えています。もちろん音楽のことも。どうぞよろしくお願いします。