祖父と記憶と中島みゆき

年始早々祖父が亡くなった。九十一年間、もうかなり長いこと生ききったろうし、徐々に弱ってきていたのは目に見えて明らかだったので、なんというか、まあそういうものだな、というくらいに受け止めたのだった。


とはいってもやはり当然、それだけでは割り切れない感覚もあるわけで、ぼやぼやと考えている。とくに思うのは、祖父の頭の中にあった記憶が、全部無に帰してしまったことの意味だ。祖父は大正八年つまり1919年の生まれ、いわゆる「戦中派」かそれよりちょっと年上。だいたい今の私と同じくらいの年齢の時に敗戦を迎えた計算になる。その時代を祖父はどのように考え生きたのだろうか?ちょうどその頃結婚もしたはずだが(これまた私とほぼ同年齢時)どういう状況だったのか?何を感じていたのか?それを知る機会は永遠に失われてしまったんだなーと思うと、やはり喪失の実感はある。


小さな頃は自分のじいちゃんの身の上話など正直興味無かったので、知ろうともしなかったが、二十くらいの頃から、二人きりで話す機会があるときには、昔の話を自分からすすんで訊くことにしていた。なんとなく今聞いておきたいという感じがしたのである。《東京・日本橋のわりと裕福な家庭に長男として生まれたが、幼い頃父を亡くして経済的に困窮し、また同時期に関東大震災で家を失い、母に連れられて当時はまだ東京の辺境、原っぱみたいな場所だった渋谷〜池尻あたりの知己の家の近くに身を寄せ暮らした。軍用航空機の整備士の資格を得て陸軍立川飛行場に着任し、そこで事務員をしていた女性と知り合い、結婚。戦後、大田区に一軒家を購入。二人の娘が生まれる。停年まで運送会社に勤務。1990年ごろ、やがて必要になるであろう自身の介護のために、娘夫婦の住む埼玉県北東部の市の隣町に移住。》知ることができたのはこれくらい。ただ、今になってみれば、祖父の言葉でしか語れない思いの部分にもっと触れてみたかった。そのうちにまた、と思っているうちに祖父は呆けていった。


葬式の数日後、前々から楽しみにしていた中島みゆきのライブに行ってきた。ホントに最高だった!!まだツアー中なのでネタバレ的なことはできるだけ避けるが、ひとつだけ、本編最後で「私たちはなまものだから、いつどんなことになるか分からなくて、だからこそ今日お会いできて、嬉しゅうございました」と、歌っているときとは全く別の独特の声づかいとやや演技がかった調子で語った後、あの、あまりに有名すぎて名曲というのもはばかられてしまうけどやはりどう考えても名曲としか言いようのない曲をアカペラで歌いだした時、もうどうしようもないほど感動してしまったのだった。調べてみると21年ぶりにライブで歌っているようだ。たぶん、生でその曲を聴けることはもうないかもしれない。


祖父の思いやその記憶は失われてしまったけれども、前言撤回、すべて無に帰してしまったわけではない。記憶の断片は少なくとも私がゲットしたわけで、そこから想像力で肉薄することができる。私たちはなまものだから、いつどんなことになるか分からなくて、だから私は、祖父のことと、中島みゆきのライブで猛烈に感動したという二つの記憶を、脈絡なくとも今ぜひ記しておきたいのである。