デモ

赤い疑惑のアクセルです。こんちは。




東北の震災、福島の原発災害という大事件、みんなと同じように動揺している。この心の動揺は、住んでいる地域、年齢、仕事環境などで、個人個人、それぞれレベルは違うのだろう、思っている。

繰り返すが僕は動揺しているようだ。もともとマイペースな人間なので、マイペースに動揺している訳で、熱が出たり、頭痛がしたり、買い溜めに走ったり、などそのような乱れ方はしないけど、なんとなく不安な感じ、を拭い去ることができない。ただ、それは別に悪いことではないと、僕は思っている。


去年の夏頃からだったか、僕はtwitterなるものを生活に取り入れ、初めはどうも魅力が分からなかったが、遂には完全に慣習化し、今は軽いtwitter中毒になっている。このtwitterなるものは未知数の可能性を秘めているようだが、実際、遥か海の向こうのチュニジアやエジプトで起こった革命的な出来事に大きく関与したようだ。
それを知って僕は非常に驚いていた訳だが、その後、まさか先日の大震災で、またtwitterが大活躍することになろうとは全然考えていなかった。

震災直後の安否確認や救援情報、その他もろもろで実際にtwitterが大活躍しているのを僕は目の当たりにすることになった。twitterのタイムラインと呼ばれる画面がもの凄い勢いで動き始め、地震に関する夥しい量の情報が飛び込んできて、その時はさすがに面食らってしまった。さらに、震災直後に福島の原発が異常をきたし、煙を上げ出すと、twitterのタイムラインに今度は原発の災害状況、メディアで報道されていない数々の事実とデマ、原子力に関する小難しい情報、などなどが恐ろしいペースで流れるようになった。

僕はtwitterに面白みを感じていたタイミングだったので、震災や原発に関するいろんな人のいろんな意見を見ながらあれやこれやと考えた。六ヶ所村原発問題が、小さなメディアで取り上げられ映画化された時などは、少し興味があって微力ながら勉強した。しかし、まだ他人事だったのだろう、その後日常の生活の中でアクションを起こす程のリアリティーを持てずにいたのだ。

ところが、今回twitterなどを通じて得た情報を段々整理していくと、確実に自分は原発に反対するべきだという気持ちになっていった。何故なら今回の事故で、自分の住んでるところ、つまり東京にも危険性が出始めたからだ。それに東電と政府、それらに恩恵を与する企業やメディアの横暴さを知れば知る程、怒りを覚えずにいられなくなった。


もちろん、震災は大変なもので、被災者はこれから長い忍耐の時間を過ごすのかもしれない。しかし、被災してない人は募金や支援で満足していてはマズいのじゃないか、と思っている。国民が協力して日本を建ち直すという名目は最もだけど、福島原発の災害の結果もろに明らかになってきた日本国家の体質は、政治に暗い自分から見てもあまりにも杜撰で、その体質の部分を問わなければ、表向き被災地が復興していこうとも、前向きな未来にはなりえないように思えてしょうがない。


じゃあ、どうする? その答えはみんなと同じで僕にも分からない。だけど、まず原発推進派(とそれに与する社会システム)を留めるなり改めるなりしなければ、と今はそこに自分なりの結論を置いている。反対を唱えるのは無様なことだけど、自分が生きている国が向かおうとしている方向が、明らかに間違っていると思わざるをえず、もう無様なんてことは言ってられない。

それで、僕はデモに参加しようと思った。初めて前向きにデモに参加したくなったのだ。今まで僕はデモというものに対してリアリティーを持ったことがなかったばかりでなく、マイナスのイメージすら持っていた部分もある。それは教科書で習ったり、テレビで見た学生運動安保闘争が、結局社会を変えることはできず、また参加者の熱意がバラバラだったなどと、そういった運動を後年の社会が苦々しく報道してきたからなのかもしれない。


思い出すことがある。今から10年くらい前だったか、八王子のキャンパスに通っていた学生時代のこと。僕は大学のキャンパスの片隅に佇む、ひなびたサークル棟に、日々たむろしていた全学連の方々と少しく交流を持った。彼らは大体、学生にしては老けた感じに見えたし、ヒッピー風で、実際に30前後の人もいたと思う。僕は周りの浮ついた学生達が嫌だったので、そこにいた謎のニイさん達に興味を持ったのだろう。

ある日、その全学連のニイちゃん達が「学費値上げに対する大学側の説明会」なる催しの席で抗議を行う、という噂を聞いて僕もかけつけた。大きな講義用の講堂に、学費値上げに反対する全学連の連中がパラパラと集まっていて、オレは別のトモダチと後ろの方の席に就いて様子をうかがっていた。

壇上に学校側の人間(スーツ着た重役のジイさん達)が数名上がって、質疑応答のようなことが始まった。全学連の人間は次から次へと質問をぶつけていたが、学校側の説明とはほとんど噛み合うことがない。どうなることかと思ったが、結局、比較的短時間の問答の末、司会進行役が「では、時間がないのでここで打ち切りとします」と言った。なんじゃ、こりゃ、と思ったと同時に、壇上の重役達は茶番のように席を立って出て行こうとした。その瞬間に全学連のニイちゃん達が、この時を待ってた、とばかりに声を上げて壇上に向かっていった。

それを見て本能的に興奮してしまった僕はトモダチに「行くぞ」と声をかけ壇上に走って行った。トモダチはついてくる様子がなかったが、壇上では既にスーツのジイさん達と全学連のニイちゃん達が揉み合いになっていて、僕もとりあえずスーツのジイさんのスーツをひたすらに掴んで引っ張ったり、押されたり押したりしていた。心は興奮していたが、自分が何のタメに今この行動をとっているのかは分からなかった。


勿論学費値上げがストップされた記憶はない。そして、それ以来オレは全学連がなんなのか結局分からずに全学連とは疎遠になってしまった。僕がデモに対してわだかまりがあったとしたら、その原因の鼻緒はそこにあったかもしれない。あのような反対・反発のエネルギーというものは、確かに人間に興奮を与えるものなんだろうと思ったが、そこにピュアな熱意がなければどうしようもないと思ったのだ。オレは全学連を否定する訳ではなく、闇雲に反抗するところに陶酔する人間の心理というものを知ったにすぎない。

とはいえ、僕が大学を出て一人で生活を始めるようになると、今度は社会的な問題が自分の問題と少しずつリンクしてくるのを感じ、それが不安だった。社会の恐ろしさを、年を取る毎に知り、その弱肉強食で成り立つ仕組みと、それと同時にその仕組みに翻弄されている自分を含めた庶民に対して自然と興味を持つようになっていった。同時にそんな風に社会や人間に対する警鐘を歌う音楽があることも知り、興味を持った。


僕がやっている赤い疑惑の音楽がそういう音楽に影響を受けていることは確かかもしれない。それに2007年にサウンドデモにバンドで招待されたたことは、僕の資質と何かそういったイデオロギーがリンクした結果なのかもしれない。しかし、それよりも何よりも、福島の原発で起こった事故と、それに対する現在の日本政府のアクションははっきり言って深刻だ、と思わざるを得ない。だから、僕は情報を収集しながら、デモがあれば行きたいと思っている。自然に、素直に、行きたいと思っている。無駄な抵抗だと思われても、自分がおかしいと思えば抵抗するべきじゃないか。

海外では既に原子力はネガティブ視され、ヨーロッパでの反原発運動は日本と比べ物にならない程広まっている。原発以外の、風力や潮力の発電方法で、原発に頼らないエネルギー政策も存在していると聞く。原発を推進しているのは東京都知事然り、東京電力に養われている企業や国の人間だけだ。だけど、そういうことはメディアでは教えてくれない。メディアのスポンサーに東京電力系がどっしりと胡座をかいているかららしい。


こんな記事を書くのは性にあってないけど、自分がデモに参加する気になったことを、なんとなく記しておくべきだと思ったからだ。これから、様々な局面での混乱や衝突が起こり得る、とみる人がいるようだが、僕もそう感じてならない。いや、いつかどういうカタチか分からぬが日本の破綻が近い将来訪れるんじゃないか、ということをトモダチと話し
合っていたりしていた直後の大震災だった。今回の一連の騒動は東電がどうこうということに留まらず、日本の仕組みの軋轢が遂に露になったきっかけだったのじゃないかと思う。しんどいかもしれないけど、今、噛み付かないでどうする、という気がしている。


みんなはどう感じているのだろうか。


赤い疑惑
長尾