結婚パーティのこと

 日曜日のことになりますが、友人の結婚パーティがCLUB METROでありました。


 結婚することになったのは、BLACKSMOMER所属、GARBLEPOOR/DOOBIES/ TENGOKUPLANWORLDのHIDENKAと、SUNDANCE!というイベントも主催するヴィジュアル・アーティストIROHAのふたりです。
 IROHAは8年越しの友人で、ちょうどぼくが京都に戻ってきたのと入れ違いで彼女が東京に行き、それでもフライヤーのデザインなどはいつも彼女にお願いしています。HIDENKAについては触れるまでもない、ぼくが普通にファンでした。そんなふたりから、歌ってほしい曲がある、というリクエストを受けて、僭越ながら参加させていただいたのです。


 リハーサルのために早目に会場入りしたとき、いつもとはガラッと違う雰囲気に驚きました。ステージが高砂になり、普段メトロで使っているデコレーショングッズも利用しながら工夫されたデコレーション(森みたいでした)。ライトの感じも「こんな照明がココにあったの?」いうくらいの柔らかさでした。
 ぼくはフロアに椅子を置いて、歌うことになりました。隣にはDJブース。さすがにこの二人のパーティをメトロでやるのですから、メインディッシュは音楽以外にありません。
 最初のDJは新郎新婦共通の大友人、colaboy。音楽が流れ出し、会場に、続々と招待客が集まってきます。シャンパングラスが手渡され、スタッフの手による料理がフードのテープルに並び、新郎新婦が入場し、乾杯、そして歓談…と、結婚パーティらしい進行のなか、やがてケーキカットの時間になりました。
 ケーキを運んできたのは、なんとOBRIGARDの二人!刃頭、YANOMIというふたりの鬼才によるユニットです。IROHAはこのユニットにVJとして参加していますが、今回の出席は内緒にされていたのだそう。
 お決まりのファーストバイトも済ませ、ここからが音楽人の結婚パーティでした。OBRIGARDのDJを皮切りに、ぼくの弾き語り、SHIRO THE GOODMANのSELECT&DeejayとDr.HASEGAWAのトランペットによる歌心たっぷりのエンターテイメントな時間(シロ―さんの選んだリディムで、全員で「見上げてごらん夜の星を」を歌いました)、そしてそのままシローさんとHIDENKAによるフリースタイル、オープンマイク、お開き前の刃頭さんのDJでは渡辺美里山下達郎さえも選曲され、最高潮の盛り上がり。
 結局、予定時刻を一時間すぎてのクローズでした。さらに、みんなが帰ってゆく中で、colaboyがBLACK SMOKERの曲ばかりをチョイス。新婦を含め会場に残った5〜6人が大はしゃぎするという絵のなか、黙々と片づけを続けながらも、音と照明は落とさないメトロに愛を感じました。
 ぼくが歌ったのは、フィッシュマンズの「いかれたBABY」とプレスリーの「Can't Help Falling In Love」です。いかれたBABYは、IROHAと出会ってすぐのころから「結婚するときには歌いに来てほしい」と言われ続けていた曲。自分の曲は歌わずにおこう、と決めていたのですが、オープンマイクのとき、シローさんのリディムに合わせられそう、と思ったので、飛び入りで、生まれて初めて「明けない夜」という曲のダブ・ヴァージョンを歌いました。


 正直に言うと、チャリティイベントに出れば出るほど、チャリティ音源が売れれば売れるほど、わからなくなっていったことがありました。それは「わたしたちは、いったい誰にむかって歌えばいいのか?この音楽は誰に届くのか?音楽でお金が生まれるとして、音楽がひとを勇気づけるとして、音楽ってもともとそんな”道具”みたいなものだったっけ?」という問いです。
 音楽は、ただ祝いの場にあり、悼みの場にあり、日常のなかに流れては喜びや悲しみや怒りを運び、ただ「音楽」にしかできない要素を担うだけで、それ以上のことはできないはずのものだ、ということをうすうす感じながら、想いと行動に整理をつけられずにいました。
(念のため断わっておくと、それでも音楽でお金が生まれ、被災地の役に立つということは完全に素晴らしいことです。この点に関しては家具職人が家具の売上を寄付する、というのと何ら違いがなく、そのためにぼくは歌うことを厭いません。それは音楽そのものの話ではなく、偶然にも歌を歌えた、ぼく個人の行動に関わることだと思っています)
 さて、そんな中で、「ただ友人の為だけに」歌った3曲は、ぼくにとっても忘れることのできない歌になりました。震災後、いや、長いキャリアの中でも、はじめてといっていいほど「確かな」気分を、歌うという行為のなかに感じることができたのです(弾き語りの出来不出来、オープンマイクのアリ/ナシは置いといて…)。
 HIDENKAの実家は福島・郡山だそうです。福島原発から40km という距離のなかで暮らす家族のことを日々心配しながら、また震災の直後に祝いの場を設けることに対しても迷いを抱きながら、当初はこのパーティを延期しようとも考えていたのだとか。パーティの中で「またやれそうな気がする」と言って握手してくれたあの瞬間が、ぼくの音楽観をしばらく支えてゆくような気がします。



 昨日、斉藤和義さんがYOUTUBEにアップした、自身の曲の替え歌による原発へのプロテストソングが、権利者のビクターによって削除されたといいます。 表現者の歌いたいことが、本来ならば表現者を守るためにあるべき「権利」によって踏みつぶされたという事実。もしくは、ここで働いたのは、原盤権者を守るべき「権利」、あるいは最近はやりの「公序良俗」への配慮なのかもしれませんが、どうにも納得がいかないのです。
 ぼくは、表現者自身のものであった音楽が、空中に放たれて、オーディエンスのものにもなる、その瞬間がとても好きです。音楽の喜びはほとんどそこにあるのかもしれないとすら思っています。が、今回は、そのプロセスの途中に鎮座する「権利者」というものが、すべての人から音楽を取り上げてしまった。音楽産業としては当然のこと、ビクターは会社として正しいことをしたのかもしれない、とさえ思います。それでも、なんともやるせなく、憤りをぬぐい去ることはできないのです。
 もちろん、結婚パーティでぼくがフィッシュマンズを歌い、刃頭さんが渡辺美里を流したその分だけ、会場(興行主)であるメトロがジャスラックにお金を払っているということも知らないわけではありません(名目上は流れた音楽の分だけアーティストが対価を受け取っていることになっているのも)。が、いま「権利」の森に分け入ってゆくことは難しすぎるのでやめておきましょう。ただ一つ言えることは、あの晩メトロで流れた音楽は、だれかが介入する余地もなく、発信した人たちのもの、その場で聴いて踊っていたひとたちのもの、そして間違いなく新郎新婦のものでした。そんな当たり前のことが、じつは角度を変えれば当たり前なんかではなく、自粛や配慮の名を借りた、遠回しで消極的な弾圧の可能性はあちこちに潜んでいるということを、今回の斉藤さんの一件は知らせてくれました。


 「音楽は何のために鳴り響けばいいの?」という問いには、第二問があります。それはきっと「そして音楽は誰のために鳴り響けばいいの?」というものに違いありません。どちらの問いにも、一般的な模範解答は存在しないでしょう。これからもずっとぼくは分からなくなるに違いありません。ただ、そんなときには、かならずあの日曜日の夕方に一度立ち帰ろうと思います。